TAKAYUKI ISHIKAWA

TAKAYUKI ISHIKAWA

トライ&エラーを重ねながら築き上げた
信頼と営業のノウハウ
東京第一営業石川 貴之

2006年に中途採用で入社、店頭販売を経て、東京23区営業所に配属。宇都宮営業所の立て直し、岡山での新規立ち上げ後、横浜、千葉、埼玉で管理職を歴任。現在は東京第一営業の配属となり、営業に従事。

失敗ばかりのスタート
見捨てられてもおかしくなかった

―入社の経緯と仕事内容について教えてください

前職はスポーツクラブで働いていたのですが、営業職に就きたいと思い転職を決意しました。私の父が、先代の社長とともに上京したメンバーの一人で、子どもの頃から会社のことについて聞いていたこともあり、就職活動をしていく中で、私も縁あってマキチエに入社させていただくことになりました。
最初は横浜店での店頭販売を経験し、研修を受けて東京23区営業所で念願の営業デビューをしましたが、最初はまったく売ることができず……。今考えても、見捨てられてもおかしくない状態でしたが、先輩方が叱咤激励してくださり、今でも営業の先輩がかけてくれた言葉を覚えています。「最後に『大丈夫です、自分に任せてください』その一言でいいから」と。その後はふっ切れたようにスムーズな対応ができるようになりました。マキチエは優しい方が多く、本当に助けてもらいました。また、ユーザーである患者様や耳鼻咽喉科の先生からも多くの教えを頂きました。

飛び込み営業で新規開拓

―その後はどのように営業の仕事を進めたのですか

最初は担当する病院が少なかったので、飛び込み営業で新規開拓しました。門前払いの時もありましたが、結局現場に飛び込むのは自分一人しかいないので、トライ&エラーを繰り返しながら次の一手を常に考えていました。断られて当たり前の新規開拓ですが、「マキチエは良い製品をつくっている」という自信がありましたので、そこは揺らぐことはありませんでした。新規開拓で先生の信頼を獲得した喜びは何にも代えがたく、大きなモチベーションとなりました。

分け隔てなく意見交換できる場をつくる

―さまざまな場所に転勤されていますね

東京の営業所から、立て直しのため宇都宮の営業所に配属されました。岡山の時は新規立ち上げです。その後、関東に戻り、横浜、千葉、埼玉の管理職として働きました。会社から多くの経験を積ませて頂いている事を前向きに感じており、それが名誉にも感じながら職務にあたっておりました。
管理職になってからもたくさん失敗しました。「自分でする仕事」から、「人にして頂く仕事」に考えがうまく切り替えられなかったのです。ですから、社員がどうしたいのか遠慮なく話せる環境をつくり、リーダーだけでなく、事務の担当も分け隔てなく意見交換できるようにし、一緒に考えていくことを大切にしました。

自分次第でいろんなことにチャレンジできる社風

―これからはどのような仕事をしたいですか

営業職として実績を上げていくこともモチベーションではありますが、今後はこれまでのノウハウを生かして、社員の営業活動を多面的に支援ができたら良いなと考えています。
また、動画やSNSなどを使って補聴器のネガティブなイメージを取り払い、リアルな情報を発信してくことにも取り組みたいですね。マキチエは自分次第でいろいろチャレンジできる社風ですから、意欲的に挑戦していきたいです。

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